エソテリック SACD 第2弾 「ベートーヴェン交響曲全集 ギュンター・ヴァント 北ドイツ放送合唱団」
ベートーヴェン交響曲全集
ギュンター・ヴァント 北ドイツ放送合唱団
2007年3月21日
BMG JAPANとエソテリックの共同企画。初回限定生産。
奇をてらわぬ真正な演奏ながら、偉大な建築物を仰ぎ見るような静かな感動を覚えるベートーヴェン交響曲全集。 完璧主義者ヴァントが納得のいくまで充分なテイクを積み重ねた末に完成したこの全集は、スコアのあらゆる声部が吟味され尽くし 、各楽器のバランスにも細心の注意が払われ、緻密を極めたベートーヴェン解釈があますところなく表現されています。
巨匠のもっとも脂の乗った円熟期を記録した北ドイツ放送(NDR)秘蔵の2チャンネルマスターテープ。 この名録音との出会いは、まるで戦火を免れたシャトーで手つかずのヴィンテージ物を発見した時のような無上の喜び(ライナーノーツから)でした。 完璧な状態で保存されていたオリジナルマスターをもとに、日本ビクターの名エンジニアが渾身の技術でデジタルリマスタリング。 オリジナルに刻み込まれた音楽情報、ホールの空気感まで見事に復元されています。
エソテリック生誕20周年を記念した世界初の快挙。ベートーヴェン演奏芸術の極点を、素晴らしい音質でご堪能ください。
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プレスリリース
《オーディオリスニングの原点回帰への誘い》
ベートーヴェンが聴けば感極まり、歌い出すであろうヴァント芸術の極点!
“ベルリンの壁”崩壊とともに沸き上がった「歓喜の歌」は、記憶にまだ新しい。それは、歴史の変換点であるとともに、本質の問いかけ、人間性への原点回帰であった。
1945 年に第三帝国が壊滅した後、ケルン市で第九交響曲を皮切りにベートーヴェンチクルスをスタートさせた若きギュンター・ヴァント。その《歓喜の歌》は、歴史の不幸に染まった市民の心を洗い流す、ベートーヴェン本来の清新でナイーヴな“魂の歌”だった。
一方、人によってはフルトヴェングラーだったりカラヤンだったりする大指揮者の、重厚濃密や華麗な音響の影響下に引き寄せられ、知らぬ内ピュアなものよりは過剰に色濃い表現の刺激に染まってしまう傾向は、否めない。
このSACDに収められたヴァントのベートーヴェンは、そうした体験とは正反対の「原点回帰」へと誘う。それは、代々引き継がれた歴代の巨匠達が指示した書き込みで本来の音楽が見えにくくなったオケ譜を否定し、ベートーヴェン承認の原典版を採用したヴァントの指揮で音が鳴った瞬間の、ギュルツェニヒ管弦楽団楽員の驚きと同じ体験だろう。強大な固まりの音響は、本来管弦の綾であり、ベートーヴェン気質と思いこんだ強弱のメリハリは、演奏する側の過剰な主観によると知って、私自身、暫し沈黙するしかなかった。
それにしても、この名録音との出会いは幸運だった。さんざん探し回った後、まるで戦禍を免れたシャトーで手付かずのヴィンテージ物を発見し味わった時のような無上の喜びと言おうか。保管蔵は北ドイツ放送局。オーケストラは、北ドイツ放送交響楽団。巨匠がもっとも脂の乗った円熟期のオリジナルマスターで、これが完璧な保存状態!と来れば、一人でも多くの同志と感動を共有したくなった。そしてヴィンテージワインをデキャンターへ慎重に移すソムリエよろしく、マスタリング時の電源環境が静謐な休日を選んで、入念にデジタルリマスター作業を進めた。
完成してみると、弦は爽やかにヌケわたり、各楽器の自然な倍音や質感までが明快に届く一方、綾なすハーモニーとホールの響きとが一体のオリジナル演奏品質が見事に復元した。
ならば、あとはリスナー諸氏が、ケルン市民やギュルツェニヒ管弦楽団の楽員達にも似た驚きをもって、ベートーヴェン音楽の喜びの原点へと回帰されることを願うばかりである。
株式会社 ティアック エソテリック カンパニー
代表取締役社長 大間知 基彰
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引用終わり
ESOTERIC20周年記念盤。これも、BMG JAPAN(現ソニーミュージック)との共同企画。
これも音源のみなら、現在も入手可能です。SACDボックスは、SACDシングルレイヤーなので、CD層と同じ収録時間にする必要がないので、ディスク枚数は少ないですが、収録曲は同じです。